東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)196号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 成立に争いのない甲第二〇号証の一(本件願書)によると、本願明細書の発明の詳細な説明の項に、「本発明は、し尿(本発明でし尿とは下水道に排出される汚水、汚泥も含むものとする。)を原料とするリンの製造方法に関するものである。従来、リンはリン鉱石を原料として製造されているが、このリン鉱石中にはケイ酸分、鉄、アルミニウム等が多量に含まれており、このため前記金属類を含まない純度の高いリンを製造することが難しいという難点があつた。一方し尿は、一部においてはそのまゝ肥料として畑等にまかれ利用されてはいたが、大部分は下水道へ流されたり、貯留槽に溜められたりして最後にせいぜい無害な物質に精製され川に流されたり焼却されたりする程度であつた。本発明の目的は、これをさらに一歩前進させて積極的にし尿を利用することにより純度の高いリンを製造することにある。」(本件願書添付の明細書第一頁第一六行ないし第二頁第一二行)との記載があることが認められる。
2(1) 原告は、第一引用例には、水性スラリーの形で得られる灰分を脱水した後、水分10%程度にまで強制乾燥することについての記載がないのにかかわらず、審決は、第一引用例に、酸化処理して得た水性スラリーの灰分を乾燥する工程の記載があると誤認し、そのため、本願発明の灰分を乾燥する工程は第一引用例記載の発明と変わらないとして、その点で、両発明は一致すると誤認したと主張する(審決の取消事由の項3)。
(2) まず、成立に争いのない甲第三号証(第一引用例)によると、第一引用例記載の発明は、都市汚水又は公共の汚水の処理に関するものであり(発明の詳細な説明の項第一頁左欄第四行、第七行)、汚水を生物学的に処理して得た(同第二頁左欄第一〇ないし第一二行)汚水スラツジを湿潤空気で酸化して、富化流出液と15%以下の酸化性の物質を含有する、主として水に不溶性の灰分(大体無機質の性質であつて、無機質を85%以上含有する。)から成る固体残渣を製造する方法を提供することを主な目的とし、また、汚水から無機質の性質を有する水に不溶性の灰分と、無害な水の部分とを生成させる汚水の処理法を提供することも、目的の一つとするものである(同第二頁左欄第二五ないし第三七行)こと、そして、第一引用例記載の発明の汚水の処理法は、生物学的な処理工程から得られた約2~12%の固体を有する水性スラツジを170~320℃の温度、21.09~210.9kg/cm2の圧力の下で60~85%酸化の程度まで化学的に酸化して大部分の水を蒸発させ、残りの液状の水から不溶性の主として無機質の性質を有する物質を分離し、残りの水、すなわち、上記酸化工程で生成した主として水に可溶性の残りの有機物質を含有している水を生物学的な処理工程へ再循環することより成る(特許請求の範囲)ものであることが認められる。
(3) そして、右甲第三号証によると、第一引用例には、灰分に関して、「酸化性の物質の60乃至85重量%の範囲内の量を酸化することにより15%以下の有機の固形物を含有する不溶性残渣を含む適当な流出物が生成することが発見された。この不溶性残渣は以後灰分と名付ける。その流出後は多少物質を溶解している水からなる液相と殆んど全く無機物であるが水に不溶性の少量の酸化性の物質をも含有している水に不溶性の灰分からなる。その水に不溶性の灰分は底部に沈降する。(中略)つぎにその混合物は固体と液体の分離器に入り、そこで酸化性の物質を15重量%以下含有する灰分を液体から分離する。」(発明の詳細な説明の項第一頁右欄下から第九行ないし第二頁左欄第五行)、「ついでその液体と固体の混合物は導管38を通つて液体と固体の分離器40に入る。水性スラリーの形の固形灰分は導管42を通つて分離器40の底から排出させ適当に処理する。その灰分は少なくとも85%の不揮発無機質と15%以下の燃焼性物質を含有しており無毒、無害である。」(同第二頁右欄第一〇ないし第一四行。別紙図面(2)参照)との記載があることが認められる。
しかし、右甲第三号証によれば、第一引用例には、液体から水性スラリーの形で分離された灰分をその後どのように処理するかについて、とりわけ乾燥処理について具体的な記載はないことが認められる(第一引用例に、汚水から分離したスラツジを酸化処理した後、更に脱水し、強制的な乾燥処理に付するとの記載がないことについては、被告も認めているところである。)。
(4) しかしながら、本願発明において後続工程で使用するとされている電気炉に入れる原料に水分が多いと、不都合が生じることは当然予測されることであるし、また、原本の存在、成立に争いのない甲第二号証(「化学プロセス集成」東京化学同人発行第一九五ないし第一九八頁写し)によれば、同書第一九五、第一九六頁のKnapsack法によるリンの製造に関する記述中「1. 1原料および前処理」の項に前処理として原料のペレツトを移動火格子で煆焼することについて、「電気炉における環元用電力を節約するためにペレツトの煆焼工程で揮発分を残さないようにする。」と記載されていることが認められ、この記載によれば、電気炉でリンを採取するに当たつては、原料の中に揮発分があると還元用電力が浪費されるので、あらかじめ原料の中の揮発分を除いておくことが普通に行われていたものということができる。
そうすると、本願発明において、第一引用例記載の発明における水性スラリーの形で得られる灰分に相当する灰分をリン採取の原料に用いるに際し、乾燥により揮発分たる水分を10
%程度にまで下げる工程を設けることは、当業者にとつて格別困難なことであつたということはできない。
(5) したがつて、審決は、第一引用例に、汚水から分離したスラツジを酸化処理した後、更に脱水し、強制的な乾燥処理に付するとの記載がないことについて誤認したものではあるが、この誤認が、本願発明の進歩性を否定した審決の結論に影響を及ぼすものとは認められない。
3 原告は、審決が、本願発明の構成要件(4)について、「本願発明のリン分を含む灰分に砂及びコークスを混合し、それを電気炉で加熱してリンを製造することは、従来から行われているリンの工業的製法と全く同じであ」るとした認定、判断は誤りであるとし、その理由として、本願発明における電気炉の使用方法は、前記「化学プロセス集成」第一九五ないし第一九八頁に示されるような従来の工程、装置より単純なものであると主張する(審決の取消事由の項4)。
しかし、本願発明は、灰分からのリンの回収を、リン鉱石からリンを採取するのに従来から慣用的に用いられている電気炉を用いて熱分解することにより達成するものであるところ、前掲甲第二号証によると、前記「化学プロセス集成」第一九五ないし第一九八頁に記載のものと本願発明とは、リンの採取を電気炉を用いて行う基本的工程において同じであることが認められる。また、右甲第二号証によると、同書に記載のリン鉱石の粉砕、造粒、煆焼工程は、電気炉に入れる原料の処理に関してのことであり、しかも原料にリン鉱石を用いるために必要とされる工程であることが認められ、他方、本願発明でも、前示発明の要旨により明らかなように、灰分をし尿から得て、これを原料として電気炉に供給するまでには、原料にリン鉱石を用いる場合とは別個の種々の工程を経ているのであるから、本願発明における電気炉の使用方法が、同書に記載のものに比して、格別単純化しているということはできないというべきである。さらに、同書に記載の集塵装置は、ガス状のリンをより純粋なものにするためのものであり、冷却装置はガス状のリンを液化するためのものであることは自明のことであつて、成立に争いのない乙第一号証の一ないし三(「化学工業通論」(再版)昭和一七年六月一〇日丸善株式会社発行、第一五七、第一五八頁)によると、同書第一五八における従来のリンの工業的製法の説明には右各装置が記載されていないことが認められ、このことからすると、従来のリンの工業的製法においては、これらの装置があえて必要とされなかつたことが明らかである。
審決の前記認定、判断に誤りはない。
4(1) 原告は、灰分と砂とコークスとを2:1:2の割合で混合して電気炉に供給するという本願発明の混合割合は、灰分中のリン含有量及び反応式から当然導き出されるとした審決の認定、判断は誤りであると主張する(審決の取消事由の項5)。
確かに、本願発明において、灰分の中にリンがどのような形態で含有されているのか明確でないのに、灰分と砂とコークスの混合割合はリン含有量及び反応式から当然導かれるとした審決の認定、判断は相当でなかつたということはできる。
(2) ところで、原告は、本願発明における原料灰分中のリン分はほとんど五酸化二リンの形態であるから、リンの回収には炭素により還元反応を行わせればよく、ただ、原料灰分中にわずかに存在する酸化鉄、酸化カルシウムを除去するため、珪素分として若干の砂が必要である等その主張のような考慮から本願発明において特に前記混合割合を規定したものであると主張する。
(3) しかしながら、第二引用例には、審決認定のとおり、リンの発見の歴史を述べた部分において、尿を砂、石灰、木炭などと加熱することにより、リンが得られたことが記載されていることは、原告も認めるところであり、また、前掲乙第一号証の一ないし三によると、前記「化学工業通論」の第一五八頁に、リンを製造するにはリン鉱石に珪石及び炭素を混ぜて、電気炉で高温加熱した上、鉱石中のリン酸分を還元し、リンを蒸発させて造ること、その際、リン酸カルシウム(Ca3(PO4)2)と珪石(SiO2)とを反応させて珪酸カルシウム(CaSiO3)と五酸化二リン(P2O5)を生成させ、この五酸化二リンを炭素と反応させ還元してリンを生成させるものであることが記載されていることが認められる。このように、リン含有物からリンを製造するには、珪石(砂)と炭素(木炭、コークス)を混合して加熱するものであることは、普通に知られていたところであり、五酸化二リンを炭素を用いて還元しリンを回収することも周知であつたところである。
また、右乙第一号証の一ないし三によると、前記「化学工業通論」第一五七頁の燐鉱石分析表に、リン鉱石中に酸化鉄(Fe2O3)、酸化カルシウム分(CaO)が存在することが認められるが、同書の第一五八頁の前記記載からすると、リン鉱石から珪石と炭素を用いてリンを回収するときには、酸化鉄、酸化カルシウム分も支障なく除去されることが、自明のこととして理解できる。
(4) そして、本願発明におけるように原料灰分からリンを回収するという場合、使用される原料灰分は、その採取源、例えば、し尿からの灰分であるか、下水道の汚泥からの灰分であるか、また、その下水道の出所の相違によつて、成分組成が異なるものであるから、その原料灰分を分析して成分組成を調べ、それに応じて原料灰分と砂とコークスの割合を決めることは、具体的な技術操作の段階で適宜に選定し得ることであるというべきであり、前掲甲第二〇号証の一及び成立に争いのない甲第一九号証(本件の昭和五四年九月一七日付け手続補正書)によれば、本願発明において、原料灰分と砂とコークスの混合割合を2:1:2の混合割合にしたことについて、本願明細書の発明の詳細な説明中にも、「排出口23から取出された灰分F´は、砂及びコークスを混合して(混合割合灰分F´2:砂1:コークス2)最終工程である黄リン製造装置28のホツパー29に供給され、」(本件願書添付の明細書の発明の詳細な説明の項第八頁第一〇ないし第一三行)と記載されているだけで、その混合割合がどのような知見に基づいて規定されたものであるかについては何ら触れておらず、また、右混合割合にしたがために、格別に顕著な作用効果が奏されるものとの記載もないことが認められるから、本願発明が右混合割合を規定したことに格別の技術的意義を認めることもできないところである。
(5) したがつて、前記(1)の審決の認定、判断部分は相当ではないが、この点が、本願発明の進歩性を否定した審決の結論に影響を及ぼすものとは認められない。
5(1) 原告は、し尿「からリンを製造することは、第二引用例に示されているように歴史的事実とされているほどよく知られ」、「リンの工業的原料であるリン鉱石自体も、有機成因のものは、鳥の糞の分解物などの堆積物である」とした上で、「し尿の不溶性残渣から既知の製法を用いてリンを製造することは、容易に想到し得る」とした審決の判断は誤りであり、人間の尿からリンを回収したこと、海鳥の糞がリン鉱石の成因であることが知られていたとしても、これらの知見からは、人間のし尿のリンの原料性について何らの知識も得られなかつたものであると主張する(審決の取消事由の項6)。
(2) 前記4(3)で判示したとおり、第二引用例には、リンの発見の歴史を述べた部分において、尿を砂、石灰、木炭などと加熱することにより、リンが得られたことが記載されており、また、成立に争いのない甲第二六号証(「肥料便覧」(第八版)昭和四九年一二月一五日社団法人農山漁村文化協会発行、第二一四ないし第二一六頁)によると、同書第二一五頁の「糞尿類成分表」に、人の糞には0.5%のリン酸が含まれ、また尿には0.1%のリン酸が含まれているとの点が記載されていることが認められる。この記載からすると、人の尿や糞に、リンが含まれていることは、普通に知られていたものということができる。
(3) また、前記2(2)で認定した第一引用例の記載によると、第一引用例記載の発明は、都市汚水及び公共の汚水を生物学的処理と化学酸化処理とを組み合わせて処理することにより、無害な水と無機質の水不溶性灰分とに分ける方法である。右の水溶性灰分は、汚水中の無機物が濃縮され集められたものであるが、都市汚水及び公共の汚水にはし尿が流れ込むのが普通であり、そして、右(2)でみたように、し尿にリンが含まれていることはよく知られていたことであるから、右灰分にリンが存在することは容易に予測されるところである。そうすると、右灰分の成分組成を究明し、そこからリンの回収を図ることは、当業者にとつて格別困難なことではなかつたというべきである。
(4) そして、前記1で判示したとおり、本願発明における「し尿」には、下水道に排出される汚水、汚泥も含まれるのであり、本願発明におけるこの「し尿」からの灰分の収集の工程は、第一引用例記載の発明と同じく、生物学的処理と化学的酸化工程とを組み合わせて行うものである。
そうすると、下水道汚水を含むし尿をリン製造の工業的原料とし、本願発明のように生物学的処理と組み合わせて化学的に酸化処理して灰分を生成させ、この灰分からリンを回収しようとすることは、当業者が容易に想到し得たところであるというべきである。
原告の前記主張も理由がない。
6(1) 本願発明の作用効果についてみるに、原告は、「し尿からの不溶性残渣におけるリンの含有量は、リンの工業的原料であるリン鉱石におけるリン含有量に比してかなり少なくて、リンの回収率も低いとみられるから、本願発明の作用効果は顕著なものとはいえない。」とした審決の認定、判断は誤りであると主張する(審決の取消事由の項7)。
(2) そして原告はその根拠として、本願発明における水分約10%までに乾燥した灰分中には20~27%の五酸化二リンが含まれていると主張する。
しかし、原本の存在、成立に争いのない甲第六号証(財団法人日本肥糧検定協会作成の分析証明書写し)によると、同証明書に、人糞についての分析結果として、人糞の五酸化二リンの含有率は20.4%であると記載されていることが認められ、原本の存在、成立に争いのない甲第七号証(イビデンエンジニアリング株式会社作成の試験結果報告書写し)によると、同報告書に、人糞尿(万勝肥料)の分析結果として、人糞の五酸化二リンの含有率は23.82%であると記載されていることが認められ、また、原本の存在、成立に争いのない甲第八号証(同会社作成の試験結果報告書写し)によると、同報告書に、「万勝肥料」の分析結果として、「万勝肥料」の五酸化二リンの含有率は23.61%であると記載されていることが認められる。さらにまた、本願発明でいうし尿は、下水道の汚水、汚泥をも包含するものであるところ、成立に争いのない甲第九号証(同会社作成の分析測定結果証明書)によれば、同証明書に、焼成汚泥の五酸化二リンの含有率は14.13%であると記載されていることが認められる。
一方、前掲乙第一号証の一ないし三によれば、前記「化学工業通論」第一五七頁の「燐鉱石分析表」に、燐鉱石の五酸化二リンの含有率が30.51~40.24%であると記載されていることが認められる。
(3) 以上の各記載を比較すると、灰分中のリンの含有率はリン鉱石のそれに比してかなり少ないとした審決の認定に誤りはなく、本願発明の作用効果が顕著なものといえないとした審決の認定、判断に誤りはない。審決取消事由7における原告のその余の主張事実も、右判断を動かすものではない。
7 そうすると、原告主張の審決の取消事由はすべて理由がなく、本願発明の進歩性を否定した審決の判断に誤りはないというべきである。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
し尿を生物学的に処理して2~15%の固体を含有するスラツジを製造し、次に同スラツジを150℃~350℃にまで熱するとともに、20~215kg/cmの圧力を加えてし尿中の酸化性物質の60~85%を化学的に酸化処理し、この酸化処理によつて得られた灰分を水分約60%程度にまで脱水した後、さらに強制的に水分約10%程度にまで乾燥し、次に、炉頂部に原料供給孔を設け同じく頂部に炉内で高温加熱され蒸発した黄リンとアルカリ金属を取出し硫酸と重クロム酸カリウム溶液を混合した精製液へと導く取出口を設けるとともに、炉底部には初期加熱用電極、高圧固定電極及び炉内沈殿物の排出口を設けた黄リン製造装置に前記水分約10%程度の灰分に砂及びコークスを約2:1:2の割合で混合し、原料供給孔より炉内へ供給し、初期加熱用電極でアークを発生させて予熱し、灰分の抵抗が減少した後高圧固定電極間にアークを発生させて加熱し、黄リンをアルカリ金属の一部とともに蒸発させて取出口から硫酸と重クロムカリウム溶液を混合した精製液中に導き、黄リンを凝固させるとともに、アルカリ金属を精製液中に溶解させることにより、ケイ酸分、鉄、アルミニウム等の金属を含まない純度の高い黄リンを製造することを特徴としたし尿を原料とするリンの製造方法。